てらこ、禅的に考えるブログ

なんちゃって仏教徒「てらこ」が目にする社会、人、音楽、本などそのほかいろいろとてらこが興味をそそったモノゴトについて禅的に解決できるか試行(思考)錯誤するブログです。ときどき禅的に考えない場合があります。

若さとはなんだ。を頽廃的に問いかける小説。 ー『ドリアン・グレイの肖像』を読んで。

オスカー・ワイルド

その人は1854年アイルランドに生まれる。
1900年パリにて客死。
46年を生きた文豪である。
 
解説によると、ワイルドは二歳若く年齢詐称をしていたらしい。
ワイルドにとって、若さはどういったものだったのか。
 
この「ドリアン・グレイの肖像」は、
まさに「若さ」に取り憑かれた、美少年ドリアンの人生の小説。
 
19世紀のイギリス。
イギリスのことはよく知らない。
勝手なイメージを上げるとこうだ。
 
「濃霧」「舞踏会」「格差社会」「アヘン」
シャーロック・ホームズが生きた(?笑)時代。
色は、グレーまたは濃紺。
たまに、まばゆいくらいの太陽の光。
そして、その太陽の下にある真っ黒な影。
 
相当偏りがありそうだが、あながち間違ってもいないはず。
 
若さと美しさを求めて、醜く死んだドリアン。
彼の人生を少しずつ少しずつ破壊していったのは、一枚の肖像画。
 
ワイルドが「頽廃的」と言われる所以がここにあった。
ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)

ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 
てらこの気になったフレーズ
人間はきわめて多角的な人生を送り、さまざまな感覚を持ち、思想と情熱を奇妙に受け継ぐ多様な姿を持った複雑な存在で、その肉体は死者のおぞましい毒によって汚されているのだ。(p269)
 
洗練はどんな意味でも簡単に身につくものではない。身につける方法は二つしかないんだ。一つは教養を得ることでもう一つは堕落することだ。(p392)

 

悪い習慣はその人間の性質の本質的な部分だからだ。(p397)
 
犯罪は下層階級だけのものだ。・・・彼らにとっての犯罪は、僕らにとっての芸術のようなものじゃないかと思う。普通でない感覚を得るための方法というだけさ。(p399)
 
ああ!どんなことでも繰り返せば快感になってくるものだよ(p399)
 
人生は神経や線維やゆっくりと作られていく細胞の問題で、その中に思考が身を隠し、そこで情熱が夢を見るのだ。(p405)
 
そもそも若さとはなんだ?青い、未成熟な季節、浅はかな気分と病的な思考の時。若さというお仕着せを、なぜまとってしまったのか?若さは彼をだめにした。(p412)
 

未読の方は、ぜひ。

ヘンリー卿の言葉に、溺れそうになります。

会社の飲み会終了時のあのダラダラさについて。

今回は禅的には考えられなかったことを書きます。

 

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会社の飲み会、大キライ

そもそも大人数の飲み会がキライ。

でも、仕事の一環なので参加しますよ。いい大人なので。

 

 

キライなことTOP3を発表

  1. 人数が20人近くいると、まとまりない。

  飲んだ後に、ダラダラ店舗の前でいたりするじゃないですか。

  次に行く人は行く人で、とっとと行けばいいじゃないですか。

  なぜたむろしちゃうんですかね。

 

 2. 調子のいいヤツがわざわざ外で大声でからんだりするじゃないですか。

  店の中でからんだらいいじゃないですか。

  なぜわざわざ店を出てからからむんですかね。

 

  3. 普段声がちっちゃい人が、飲むとやたら大声だしたりするじゃないですか。

  普通に声が出るなら、普段からだせよとか思うわけですよ。

 

 

まぁ、その人たちからしたら、

てらこはノリが悪いんでしょう。

しかしね、すでに人生の折り返し地点に到達しているので、

そんなにはしゃいだり、騒いだりしないのですよ。

外見は若く見えるそうですが、それとこれとは話が別ですよ。

 

会社の飲み会でも、キライじゃない飲み会はあります。

それは、少人数の場合。多くて6名。

これくらいだと、パパっと終わって、

きちんと普通にお話できて、楽しいお酒が飲めるわけです。

 

大人数になると、あのはちゃめちゃな感じ。

バリウザイ。

あれが、楽しいと思っている人たちって馬鹿なの?

パーリーピーポーなの?

気持ち悪いわー。

 

オーバーサーティーの人間が寄って集まって、

恥ずかしい。

しかも会社で予約しているお店の前で。

もうね、あれ、やめてほしい。いい加減に。

 

てらこは、総務部長に「もう帰っていいですよね?」

と断って、そそくさと退散します。

 

ほんと、しんどい。

 

久方ぶりの東京だったのに、新幹線車内自殺の影響を受けた件について禅的に考えたらこうなった。

大変な事件が起きました。

いつもなら、関西に住むてらこにとっては、
へぇ。
と他人ごと。
ところが、
ぱちん。
と自分ごとになりました。
 
仕事でね、今日、東京出張だったんですよ。
5年近く働いてますけどね、
初めての東京出張だったんですよ。
 
そしたら、
新幹線の車内で焼身自殺した男がおる!
というツイートがTLで流れてるじゃないですか。
 
がぴーん
 
しかも巻き込まれて、亡くなった方もいます。
もうね、新幹線が遅れるのは、
百歩譲ってよしとしよう。
時間が奪われるだけで、命が奪われるわけじゃない。
たいしたことない。
 
ただ。
 
 
他人に迷惑をかけるな。
他人の命を無断で奪うな。
勝手に死になさい。
76にもなって何考えとんじゃ、ボケが。
 
 
死に際が心底美しくない。
死者を冒涜するのは気が進まないが、
あまりにも醜い死に方だと断言する。
 
何かあったのかもしれん。
もしかしたら精神を病んでおったのかもしれん。
でもな、
それでもやっちゃかんことがあんねん。
 
ならぬものはならぬのだ。
 

人間には死ぬことを選択することができる。

てらこは、基本的に、自殺することは容認しています。
危険な考えだということは百も承知です。
 
もちろん、して欲しくないけれど。
何人たりとも、自殺をいう選択をして欲しくないけれど、
 
自ら「死ぬ」ことを選択することができるのは、
人間だけです。

 

尊敬する禅師がこうおっしゃっていて、
ハッと気付かされました。
 
ここからは持論です。
 
その人が満足できるなら、
それも仕方のないことなのかもしれない。
でも、して欲しくはないです。
絶対にしてほしくないけれど、
そういう感情になってしまうというのは
とても理解ができます。
 
てらこも、自殺をしようと考えたことは何回もあります。
ただ、しなかった。
なんとか乗り越えてきたわけです。
 
その人なりの事情があるし、
その人の環境もある。
てらこのツラかった時とは比べようのないくらい、
ひどい状況なのは間違いないでしょう。
てらこと同等に考えることすら、間違いかもしれない。
 
でもね、
他人に迷惑をかけちゃダメなんです。
自殺を考える人は、人に迷惑をかけるとか
そんな倫理的なことを考えないと思いますけど、
それは絶対に守らなきゃいけないんですよ。
 
死にたかったら、たった一人で、孤独の中で、
自分は一人なんだと実感しながら、実行してほしい。
他人に危害を加えるなんて言語道断。
 
それができない人は、死ぬ資格すらない。
 
だから、
 
なにがなんでも生きろ。
とにかく生きるんだ。
 
と言いたい。
 
 
 
でもね、悲しくってね。
76のおっちゃんを誰も救ってやれなかったんだなって思うと、
切ないですよ。
なんでこんな強行突破をしなくてはいけなかったのでしょう。
今となっては、弁明すら聞くことができません。
なにがあったんやろなぁ。
 
JRの人も、大変だったはず。
前代未聞の事態なのですから。
心の底からねぎらいの言葉を捧げたいと思います。
 
最後に。
巻き添えになってしまった女性のご冥福をお祈りいたします。