てらこ、禅的に考えるブログ

なんちゃって仏教徒「てらこ」が目にする社会、人、音楽、本などそのほかいろいろとてらこが興味をそそったモノゴトについて禅的に解決できるか試行(思考)錯誤するブログです。ときどき禅的に考えない場合があります。

にげちゃだめだにげちゃだめだ・・・・・・やりますっ!ぼくがのりますっ!を禅的に考えてみたらこうなった。

いやぁ、昨日、使徒、来た?

サキエル - EvaWiki、来た?

Angel01.jpg

 

 

・・・

 

 

来なかったねぇ・・・・・・遠い目 つまんないの。

 

当たり前です。そんなことわかってますよ。

あんな使徒は現実にはいませんよ。ええ。

 

 

そもそも、使徒とは。

kotobank.jp

 

大辞林第三版①の解説がわかりやすかったからここでは採用。

キリストの福音を伝えるために遣わされた者。一般的には,キリストに選ばれ特別の権能を授けられた一二人の弟子が十二使徒とも呼ばれるが,新約文書で使徒を一二人に限定したのはルカだけであり,後代の教父が十二使徒に絶大な権威を付与した。パウロは復活のキリストにより自らも使徒とされたと主張する。

 

なにを遣わしにきていたのでしょうね。

マンガは完結していますが、結局よくわからない。

 

・・・

 

14歳のシンジくんは、

田舎でのほほんと暮らしていました。

ところが突然音信不通の父さんに呼び出され、

得体の知れない物体に

「座っているだけでいいわ」(byリツコさん)

といわれ、本当に座ってしまいました。

そして、第3の使徒サキエルと出くわし、

なにもできずにやられちゃうわけです。

まぁ、初号機が守ってくれるんですけど。

 

 

すごい受容力ですよね、シンジくん。

綾波がケガを負っているにもかかわらず、

得体の知れない物体に入れられようとしているから、

「ぼくがのりますっ!!」という犠牲の心。

このとき、綾波とは初対面です。

なんの恩義もないわけです。

しかも得体の知れないロボットみたいなものに乗ってですよ?

初めて見る使徒との戦い方なんてわからないじゃないですか。

操縦方法だって知らないんだし。

いっくら乗ってるだけでもいいって言われたって、

さすがに、

「あ、あの、せめて説明書、読ませてください」

っていう件があったっておかしくない。(マンガ的に美しくはないけど)

 

でも、いたいけな美しい少女の痛々しい姿を見たら、

そりゃ「ボクが!」「いやオレが!!」となる心理は

わからなくはない。

 

 そこでシンジくんの中で芽生えているのが、

仏教でいう、

利他主義」と言われるものではないかと。

 

日本は大乗仏教の流れを持っています。

ここでは大乗仏教でいう「利他主義」を採用します。

 

 

利他主義とは、

「自分を犠牲にしても、他人の利益を優先させること」

 

もしかしたら死んでしまうかもしれないのに、

父さんや綾波、しいては世界の人々を使徒から守ろうとするのです。

なにもできないもやしっ子のシンジくんが、です。

 

逃げたっていいじゃないですか、

この状況では。

「乗らないなら帰れ」(byゲンドウ)

と言われたっていいじゃないですか。

 

でも、彼は乗ったのです。

 

見事に利他主義を実践しました。

でも。

本当に、純粋に、利他主義ではなかったはずです。

父さんから認められたい。

その一心だったのかもしれません。

それはシンジくんにしかわからないことですし、

描かれてもいないので、本当のところはわかりません。

 

 

この物語を代表する名ゼリフ

「にげちゃだめだにげちゃだめだにげちゃだめだ」

 

 

てらこなんて、逃げてばっかりです。

シンジくんを見習います。