キライなことを禅的に考えてみたらこうなった。
キライなこと。
少ないほうがいいけれど、
どうしてもキライ・気に食わない
ということは出てきます。
この世の中は、キライ・気に食わないことにあふれています。
ネガティブなニュースがあふれています。
中には「ほんわか」するような話もあるし、
感動話もあふれています。
世の中は相反するものばかり。
いいところもあるし、わるいところもあって、
成り立っている。
すべて完璧なんてありえない。
有名な心理学のお話で、
『欠けたドーナツ』のお話を聴いたことのある方は
多いと思います。
オールドファッションです。どやぁ
一口、てらこが食べました。欠けてます。
本当は大好きなオールドファッションのチョコにしようと
チョコがけをちょっとだけ試したんだけど、
チョコがけって難しいね。くやしい。
たいていの人は、一部が欠けたドーナツを見ると、
欠けたところが目についてしまって、
他のところに目がいかなくなるという心理が働いてしまいます。
ということは。
人になぞらえると、
欠点ばかりが目についてしまって、
他のたくさんあるいいことに目がいかない。
生きていくうえで、
どうしてもイヤなことや不愉快なことがあります。
それを裏返したり、角度を変えたりして
違う視点から見ることで、
イヤだな、不愉快だなという感情を
和らげることができるのかもしれません。
禅的に考えると・・・
只其の人の徳を取て失を取ることなかれ。
君子は徳を取て失を取らずと云ふは、此の心ろなり。
「正法眼蔵随聞記」から。
誰でも長所と短所があるので、長所をよく見て、短所ばかりを見るのはやめようね。
賢い人は、長所を見て短所を見ないんだよ。(てらこ超訳)
人の欠点ばかり見ていると、
他人からも欠点ばかり見られるようになりますから。
キライなことをなくすことはできないから
なにごともほどほどに。
おわり。