てらこ、禅的に考えるブログ

なんちゃって仏教徒「てらこ」が目にする社会、人、音楽、本などそのほかいろいろとてらこが興味をそそったモノゴトについて禅的に解決できるか試行(思考)錯誤するブログです。ときどき禅的に考えない場合があります。

中二病を患うことを禅的に考えたらこうなった。

中二病は永遠の中二ってことでOK?

中二病という言葉はよく使うし、聞くけれど、

ちゃんと調べたことがないから、Wikiさんに聞いてみた。

 

 

中二病 - Wikipedia

 ラジオ番組『伊集院光のUP'S 深夜の馬鹿力』で生まれた造語。

 

知ってた??

てらこ、まったく知らなかった!!驚いた。

 

伊集院さんはWikiさんの言うところによると、

コーナー終了後に起きた意味合いの変遷について、伊集院本人は「もう僕の作った時の意味と違うから言葉自体に興味無いです。」と語っている。

らしいです。

意味が変化していってるのですねぇ。ほぉ。

 

 

 

コトバンクさんの説明のほうがわかりやすい。

kotobank.jp

 

一過性の病気にたとえたもの。

 

そうなのです。

一過性の病気なのです。

 

 

・・・

 

 

てらこ、読んでみたんですよ。

今話題になっている元少年Aの本。

 

40ページくらい読みました。

それから、字を読まずパラパラ~とめくって、ゴミ箱行き。

 

よくもまぁ、

出版社もこんな独りよがりの甚だしいモノを

恥ずかしげもなく、「社会的に意義がある」と言えたなと。

 

しかも編集をほとんどしてないというじゃないですか。

これ、元少年Aだから編集してないんでしょ?

あまやかしてどうすんねん。

本当に、本気で、彼を社会で生かそうと思うなら、

出版社として文章を指導するべきでした。

 

この程度の文章なら、ブログ掲載で十分ですよ。

そんなに表現したいなら、

そんなに自分の身の上を世間に公表したいなら、

ブログに「元少年Aの手記」としてほそぼそ書いたらいいじゃないですか。

そして、一部の下劣なマスゴミに取り上げていただいて、

話題殺到になってからの書籍化でしょうに。

 

 

「自分はこんな文章が書けるんだ」

「自分はこんな表現を描くことができるんだ」

「自分は本当は普通のどこにでもいる子どもだったんだ」

「自分は書かなきゃいけないんだ」

「自分は・・・・」

「自分は・・・・」

「自分は・・・・」

 

 

こんな調子。

もちろんあくまで「手記」なので、

自分のことを語る本ではあるのだけれど、

まったく客観性に欠ける。

まったく自分を俯瞰してみていない。

いや、俯瞰していると思い込んでいるだけで、

「自分」を見ることができないのかもしれない。

 

ああ、この人は30すぎても中二病を患っていて、

悪いことをしたということは頭で理屈として理解していても、

本質的に理解できる人ではないのだ。

ある一定数必ず存在する、

どうあがいても倫理観が欠如してしまう人なのだ。

一過性の病気が永遠と続く人なのだ。

 

この本は、中二病の子どもが読んだら、

強烈に賛同するだろうなぁ。と。

さらに崇拝するだろうなぁ。と。

そんな予感があります。大丈夫かな。

 

中二病を禅的に考えてみたけど。

現代ではうつ病精神疾患などの病名がありますが、

時代をさかのぼると、日本では、

うつ病などは「呪い」として恐れられていたようです。

病名がなく、奇怪なモノとしての認識だったのでしょう。

うつ病を発症している人に対して、

「祟りじゃあぁぁぁ」と納屋に閉じ込めたり、

下手したら村全体で抹殺していたのかもしれません。

 

 

かの有名な吉田兼好さんの徒然草にはこうあります。

tsurezure.choice8989.info

 

ここでは第134段の「高倉院の法華堂の三昧僧」を取り上げる。

まさに、この段には元少年Aの愚かさが代弁されています。

 

 自分自身の非を知らないので、他人が自分を悪く言っていることも当然知るはずがない。

 

自分自身を全く知らないということにはならないであろうが、知ったところでどうすればいいかを判断できないので、全く知らないのと大差ないのである。

 

そもそも他人に愛されていないのに、人々の間に立ち混じって交際することは恥ずかしいことなのである。

容貌が醜く、分別もできていないくせに出仕し、バカなくせに学才ある人と交わり、芸事が下手くそなのに上手な者と同席し、頭は白髪で真っ白なのに若い人の間に並び、ましてや自分の力の及ばないレベルのことを望み、実現できないことを悲しみ、来ないものを待ち、他人を恐れ媚を売るのは、他人から与えられた恥ではない。

 

欲深い心に導かれて自分で自らの身を辱しめているのだ。
欲を貪ることを止めないのは、命が終わる一大事が今ここに来ていることを全く自覚していないからなのである。

 

 

聡明な方なら、言わんとすることがすぐさま理解できると思う。

 

中二病は一過性なら、多少の差はあるものの、

誰もが通る通過点。

継続されてしまえば、ただのイタイ人なのである。

 

この継続性を仏道が救えるのか。

それをてらこは知らない。